幼いころからハティジェとは仲が悪かったと言うシャー皇女はヒュッレム排除への協力を拒否しました。
そのためにわざわざ呼び寄せたと言うのに、協力しないというシャー皇女にハティジェは唖然としています。
そりが合わないシャー皇女とハティジェ
母后の葬儀でも口を利かないかったという二人。スンビュルによると、幼いころから気性が合わなかったと言います。
見たところ性格がきつそうなシャー皇女は、繊細ですぐに傷つくハティジェとは全く違うタイプです。てきぱきしたシャー皇女はうじうじしたハティジェにいら立っていたかもしれません。
同じ皇女なのに・・・夫の役職に格差が
イブラヒムはスレイマンの親友で「奴隷」から側近になり、ハティジェとの結婚で大宰相にまで上り詰めました。一方、シャー皇女の夫、ルトフィは地方の知事として赴任しています。今のところ中央政府での役職についていません。
ただでさえ仲が悪い姉妹です・・・「夫の格差」も二人の溝を深めているかもしれません。
シャー皇女の夫ルトフィ
ルトフィの出身地についてははっきりしていませんが、アルバニアだという説が有力です。子供のころ徴用(デヴシルメ)によってイスタンブールに連れてこられて教育を施されています。
地方の知事などを歴任し、スレイマン即位後は数々の遠征に参加しています。
イブラヒム失脚後、アヤスが大宰相になりましたが、1539年アヤスが病死し、満を持して大宰相に任命されました。
シャー皇女とルトフィの夫婦仲
せっかく大宰相になったルトフィでしたが、あるきっかけで失脚することになりました。
それはシャー皇女との離婚です。
大宰相になったルトフィはなぜか「浮気したもの」に過剰な刑罰を科しています。それを知ったシャー皇女はルトフィに抗議しましたが、激高したルトフィに暴力を振るわれてしまいます。
シャー皇女はそのことをスレイマンに報告し、ルトフィとの離婚を許されました。
離婚したことで「ダマト」の称号を失ったルトフィは急速に力を失い、大宰相の地位も失うことになります。
ドラマでもそのあたりは出てきますが、それはシャー皇女に対してある疑いを持っていたからかもしれません。
ルトフィ・パシャ役はメフメト・オズギュル mehmet özgür
メフメト・オズギュルは1970年8月30日アンタルヤ生まれ。俳優兼アンタルヤメトロポリタン市立劇場の総監督です。
イスタンブール大学の演劇科を卒業し、1988年にはアンタルヤの演劇イベントでアーティスト活動を始めました。
1993年にはアンタルヤ州立劇場の専属となり、2004年からはテレビドラマでの演技を始めます。
代表作はSuskunlar(沈黙)というドラマです。
シャー皇女役はデニス・チャクル deniz çakır
デニス・チャクルは1981年12月31日アンカラ生まれ。
大学で舞台芸術を学んでいたころ、頻繁に劇場に通い、ゼイネップ・エロナトという女優さんの演技に感銘を受け、女優を目指すようになりました。
在学中にラジオシアターにも参加し、ラジオCMなどにも出演しました。
代表作はYaprak Dökümüというドラマです。
いかがでしたか?ハティジェとは性格が合わないというシャー皇女はなぜハティジェの招待に答えて帝都にやってきたのかも気になるところですが、気が強そうなシャー皇女はなぜ夫と不仲になったのか、ドラマではどのように描かれているか・・・とても興味があります。
ハティジェをよく思っていないシャー皇女の狙いはなんなのか、早く知りたいですね!
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