東ローマ帝国の首都だったコンスタンチノープルは、メフメト2世によって征服され、「イスタンブール」と呼ばれるようになり、オスマン朝が滅ぶまで首都として機能していました。
その帝都にある皇帝の住まい、トプカプ宮殿は、現在もその荘厳さを保っています。
オスマン帝国の悲願だったコンスタンチノープル攻略
伝説によると、帝国を建国したオスマン1世は、夢でコンスタンチノープルを目指す啓示を受けたといわれています。
難攻不落のコンスタンチノープル攻略を果たしたのは、若干21歳の第7代皇帝メフメト2世でした。
1453年4月メフメト2世は、10万の兵を率い、当時としては考えられないほど大きな大砲(ウルバン砲)を用いたり、大艦隊に山越えをさせるという奇襲作戦で、鎖で封鎖されていた金角湾に侵入したりと、あらゆる手でイスタンブールを攻めましたが、コンスタンティノス11世はわずか7千の兵で2か月も持ちこたえました。
しかし、5月29日未明、ついに陥落し、コンスタンティノス11世は戦死しました。
※メフメト2世のコンスタンチノープル攻略は、netflixでドラマ仕立てのドキュメントが配信されています↓
rise of empirse OTTOMAN:邦題オスマン帝国 皇帝たちの夜明け(Netflixオリジナル)1/24配信 - オットマニアな主婦のブログ
↓「rise of empirse OTTOMAN」のワンシーン。メフメト2世が兄の死を受けて、父帝の住む宮殿に呼び出されたが、当然この時の居城はトプカプ宮殿ではなかった。
トプカプ宮殿の歴史
トプカプ宮殿は、コンスタンチノープルを征服したメフメト2世が、1460年代に建設を始め、1478年頃に完成したといわれています。
「トプカプ宮殿」という名前は、1853年にスルタンがドルマバフチェ宮殿に移って、この宮殿を去った後に使われるようになったそうで、当時は「新宮殿」(イェニ・サライ)、あるいは「帝国新宮殿」(サライ・ジェディード)、「帝王の宮殿」(サライ・ヒュマーユーン)と呼ばれていました。
現在は博物館となっていて、世界遺産にも登録されています。
現存するトプカプ宮殿は、15世紀から何度も改修されていて、当時のままというわけではないようです。
ドラマに登場する宮殿
ドラマ内でヒュッレムたちが居住している部屋を探してみると・・・。
↑この部屋、ドラマで出てきたヒュッレムの部屋に似てる。このシーン↓
こちらは側女たちの大広間に似てる。↓
↓ドラマではこんな感じ。石造りで上は吹き抜けだから、冬は絶対寒い。
↓これはよく出てくる廊下とはちょっと違うみたい。
↓ハレムの浴室。イスラムの国ではおしりを水で洗うので、浴室にトイレも付属していたみたい。
ファーリエが入浴中のヒュッレム暗殺を思いとどまったシーン↓
↓皇帝の謁見の間
↓ムスタファ皇子が子供のころ、この格子から中をのぞいていたシーン
↓皇帝謁見の間。ドラマではちょっと雰囲気が違う・・・壁のタイルの色とか、扉とか。
↓こちらは大厨房。シェケルのいるところとは違う。
↓こちらの厨房はシェケルやギュルの掛け合いが聞こえてきそう。
いかがでしたか?現在トルコもコロナ・ウイルスが猛威を振るっていて、トプカプ宮殿博物館も、感染予防のため閉鎖しています。
早くコロナが収まって、自由に見に行けるようになって欲しいですね!
↓トプカプ宮殿の公式HP
https://www.millisaraylar.gov.tr/saraylar/topkapi-sarayi/
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