オットマニアな主婦のブログ

オスマン帝国外伝にどハマリしたオットマニアな主婦の独り言です。(注意:ネタバレありですので、本編を観てから読んでください)

オスマン帝国外伝で気になったこと アルミンの「火葬」

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黒死病で亡くなってしまったアルミンは、マルコチョールの手で荼毘に付されました。

しかし、イスラム教もユダヤ教も火葬を認めていません。

先日ユダヤ教の偉い人が、宗教的な禁忌である火葬を「コロナ犠牲者」に関しては認めるという発表をしていました。

このように現代なら火葬されるでしょうが、当時はどうだったのか、気になって調べてみました。

 

火葬を嫌う聖書の民

仏教徒の多いアジアでは火葬は普通ですが、イスラム教・ユダヤ教だけでなく、キリスト教も火葬を嫌います。「肉体」がなければ天国で復活できないと思っているようです。実際、外国で日本では火葬されることを話すと、変な顔されます。

 

伝染病は東から?

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14世紀、中国で発生したペストが、モンゴル帝国によって中央アジアまで到達、当時中東を支配していたマムルーク朝にも広がり、そこから交易などでイタリアに上陸してヨーロッパに広がったといわれています。

奇しくも新型コロナと同じような経路で世界に広がっていますね。(コロナの最初の感染はドイツという話もあるので、完全に一致とは言えませんが)

この時、ユダヤ人の感染者が少なかったために「ユダヤ人謀略説」が広がり、多くのユダヤ人が「ペストの首謀者」として殺害されたようです。社会不安が民衆の凶暴化を産むのは警戒しなければならない現実でしょう。

 

衛生管理に熱心だったオスマン帝国

14世紀以来、ペストは世界中で何度も流行を繰り返していますが、特にオスマン帝国では19世紀半ばまで流行→小康状態を繰り返していたといいます。

19世紀のペスト流行時は、同時にインドから持ち込まれたコレラも流行したため、危機感を持ったオスマン帝国が検疫の他、衛生管理システムを構築し、自国領に病気が持ち込まれるのを防ごうとして隣接する国々にそれを持ち込もうとしているのを見て、オスマン帝国が覇権を広げようとしていると感じたイギリスが警戒したことが、その後の歴史に影響を与えたという論文の話がニューズウィークの記事で紹介されていました。

紛争と感染症の切っても切れない関係──古くて新しい中東の疫病問題|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

これは19世紀の話ですが、これを見ればオスマン帝国はかなり衛生管理に敏感だったと思われます。大きな国を維持するには必要だったのでしょうね。

 

結論 

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レイマン時代については分かりませんでしたが、オスマン帝国では衛生管理を厳格にしていたようなので、おそらく火葬は行われていたと思います。

しかし、火葬して肉体を失ったアルミンとマルコチョールは、その死後も天国で会うことはできない・・・そう思うと、あの時のマルコチョールの悲しみは相当なものだったと想像してしまいます。

 

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