オスマン帝国外伝を観ていると、私の持っている辞書にない言葉が出てきます。たとえば「陛下」と訳されている「Hünkâr」は、(高度な辞書なら載っているかもしれませんが)載っていませんし、自動翻訳でも出てきません。
しかし、「Hünkâr beğendi」(王様のお気に入り)という、有名な料理があるので、「Hünkâr」が「王様」という意味だと分かります。
おそらくこの単語は、トルコの「古語」=「オスマン語」ではないかと思います。
オスマン帝国の共通語は?
オスマン帝国は、オスマン1世が率いるチュルク系の民族による王朝でしたが、多くの国を征服して多民族国家となっていきました。
イスラム国家でしたから、コーランの文字であるアラビア文字を使用していましたが、共通言語はチュルク系の「オスマン語」を使用しています。
オスマン語は、チュルク(トルコ系)の言語ですが、現代トルコ語よりもアラビア語やペルシャ語などの影響が大きかったようです。漢字表記を使う日本語に漢語がすんなり入り込んだように、オスマン語も文字がアラビア文字だったので、アラビア語やペルシャ語の言葉がすんなりと入り込んだのでしょう。
死語となった「オスマン語」
オスマン帝国の共通語、オスマン語は現在は死語となっています。
それは、オスマン帝国が滅んだあと誕生したトルコ共和国が、言語を再編成したからです。
現代トルコ語は「革命」から生まれた
現代トルコ語は、現在のトルコ共和国が成立した時に編成された言葉です。
建国の父アタチュルクは、建国の際にそれまで使われていたアラビア文字による表記を止め、アルファベットを使って表記することにしました。それは、近代化と政教分離のためです。アラビア文字による表記では、どうしてもイスラム教からの影響が払しょくできず、西洋諸国からも「異教徒の国」と距離を置かれてしまうと考えたのでしょう。
かなり思い切った改革だと思います。文字が変わっただけでなく、それまで右から左に読んでいた文章を、左から右に読むんですから・・・大人が長年やってきたことを改めるのはかなり大変です。おそらく国中大混乱だったでしょうね。
「オスマン語復権」の動き
近頃トルコでは、保守派による「懐古主義」が台頭してきていて、「オスマン語の復権」を叫んでいます。
せっかく定着してきたアルファベット表記を止めて、アラビア文字に戻そうという話です。学校でアラビア文字を学んでいる層がどのくらいいるのかわかりませんが、アラビア語を読めないとコーランが読めませんからね・・・保守派は、イスラム教に基づく国家を目指しているのでしょう。
いかがでしたか?おりしも4月23日はトルコ共和国の建国記念日でした。トルコでは、昨今オスマン帝国をテーマにしたドラマがたくさん作られていて、ドラマ自体はとても面白いのですが、「懐古主義」には注意が必要かもしれません。