ジハンギル皇子がフーリジハンに勧めた愛の物語、「ライラとマジュヌーン」は、詩人フズーリーによって書かれた叙事詩です。
オスマン帝国の詩人 フズーリー
フズーリーはオスマン帝国古典詩の大御所です。
フズーリー(本名 ムハンマド・ビン・スレイマン)は1480年頃、現在のカルバラ(イラク)に生まれました。遊牧の民バヤト族出身だといわれています。
フズーリーはアゼルバイジャン語、ペルシャ語、アラビア語が堪能で、おもにそれらの言葉で詩を書いていました。
他にもオスマン語、チャガタイ語も長けていて、数学や天文にも通じていました。
生まれた年で分かるように、スレイマン達と同時代に生きた、ジハンギル皇子からすれば「当代の偉大な詩人」であったでしょう。
ちなみに、この「ライラとマジュヌーン」という叙事詩はアゼルバイジャン語で書かれています。アゼルバイジャン語はトルコ語に近い言語なので、トルコ語を理解する人には理解しやすいようです。
ライラとマジュヌーン あらすじ
有力者の一人息子カイスは、地方有力者の子弟が集まる学校に入学するが、そこでライラという美少女と出会い、恋に落ちる。
あまりにもライラを思うあまり、言動がおかしくなったカイスは、「マジュヌーン(狂人)」と呼ばれるようになる。
心配したカイスの両親はライラをカイスの嫁にもらおうとライラの父親を訪ねるが、ライラは一人娘であったため、ライラの父は「マジュヌーン」になったカイスに娘を嫁がせることに難色を示し、まずはカイスの狂気を封じる祈祷をするよう勧める。
ライラへの思いを募らせるカイスは奇声を発して辺りを歩き回るようになり、見かねた一族のものがカイスの父に二人でカーバ神殿へ巡礼することを勧めるが、カイスは神殿の扉をたたきながら「たとえ私が死のうとも、この恋を残させたまえ」と叫び、父親を落胆させる。
両親は一人息子が狂人になったことに苦しみ、病気になって死んでしまう。
ライラの方もカイスを想っていたが、引き離されたために悲しんでいた。
ライラの両親は有力者のイブンセラムとライラを結婚させるが、ライラはイブンセラムを受け入れず、ライラは結婚後も処女を守り続ける。
妻に受け入れられず苦しんだイブンセラムは病に倒れ、帰らぬ人になる。ライラは夫の死を理由に家に閉じこもり、喪に服すと偽ってカイスへの思いを募らせ、とうとう病になり命を落とす。
ライラの死を知ったカイスは彼女の墓所に行き、彼女の死を嘆き悲しみついには死んでしまう。しかしカイスが死んだことを誰も気づかないまま長い時間が過ぎる。
マジュヌーンと化したカイスを慕う野獣たちがカイスを取り囲んで誰も近づけなくなったからだ。
その後、この墓所は大地震に見舞われて倒壊し、跡形もなく失われたがその墓所があったところは「恋の墓所」と言われるようになる。
ライラとマジュヌーンの映像作品
この物語は中東ではポピュラーなようで、トルコの他、インドでも映画化されています。
↓これは1976年に作られた映画。悲恋のはずなのに衣装がアレでコメディかと思ってしまったw
勿論トルコでも何度も映画、ドラマ化されてます。
↓は、1983年の作品ですが、画像も音源も悪いので再生注意です。
ライラとマジュヌーンは、アラブやペルシャで語り継がれている物語で、様々な作家が書いているのですが、このフズーリーのものが一番有名だそうです。
この物語は日本でも出版されています。 ↓
いかがでしたか?結ばれないことで苦しんで狂人になってしまったカイスをライラは思い続けていたのですね。この恋は誰も幸せにしない恋でした。この物語を読んだフーリジハンは自分をライラに重ねてバヤジット皇子への思いを募らせているのでしょう。
はたして二人の恋が実る日は来るのでしょうか?