スレイマンの「妻」として、ヒュッレムが後宮入りする前からスレイマンに仕えていたギュルフェム。
ヒュッレムの死後はスレイマンの後宮を管理していましたが、ドラマでは二人の皇子を処刑したスレイマンへの憎しみから、思わぬ行動に出て命を落としてしまいました。
スレイマンの「妻」でありながら、衝撃の最期をむかえたギュルフェムは実在の人物です。
「第二の妻」ギュルフェム・ハトゥン
スレイマンの「妻」(子供をもうけた側女)は、ヒュッレム、マヒデブランとギュルフェム、そしてもう一人ドラマには出てきていませんが、フレーン(Fülane)という女性がいました。ナーゼニンはドラマ上の創作で、実際には存在していません。
記録によればギュルフェムが後宮入りしたのはマヒデブランより後なので、ドラマの設定の様にマヒデブランにスレイマンを奪われたわけではないと分かります。
ギュルフェムは、実際にはヒュッレムがメフメト皇子を出産したのと同時期にムラト皇子(同年夭折)を産んでいますが、子供はこのムラト皇子のみで、それ以後は子供には恵まれなかったようです。
ギュルフェムは、ドラマでも描かれていたように、敬虔なイスラム教徒として人生を送ったようで、墓石には「幸せな殉教者」と刻まれています。
ワクフで建てた「ギュルフェム・ハトゥン・モスク」は、イスタンブールのユスキュダルにあり、建設当時は商店の他、学校や墓地も併設されていましたが、残念ながら1930年に道路建設のために学校と墓地は除去されてしまっています。
ギュルフェムの不可解な死
ドラマでは、スレイマンがバヤジット皇子を処刑したために我慢の限界が来たギュルフェムが、スレイマンを襲ったために誤ってフェルハトに殺されてしまいましたが、実際のギュルフェムも実は不可解な死を遂げています。
スレイマンはヒュッレムの死後、ギュルフェムを自分の側に置き、ヒュッレムを失った悲しみをギュルフェムに癒してもらっていたようです。
ギュルフェムの死は謎に包まれていて、いくつかの説があるのですが、そのなかでも最も謎に満ちた伝説をご紹介したいと思います。
ギュルフェムは、ヒュッレム亡き後スレイマンの寵愛を一身に受けるようになり、毎晩のようにその寝所に召されていました。
そのころ、信心深いギュルフェムはモスクを作ろうと考えていましたが、自己資金が足りませんでした。ある側女がギュルフェムにモスクの資金を援助すると言って、その日の夜伽を変わって欲しいと頼み、ギュルフェムはその権利をその側女に売ってしまいました。
その夜、スレイマンはいつものようにギュルフェムを寝所に呼びましたが、やってきたのは全く違う女性でした。
驚いたスレイマンはギュルフェムは病気なのかと尋ねましたが、彼女は夜伽の権利をギュルフェムから買ったと言ったためスレイマンが激怒し、翌日ギュルフェムは遺体となって発見されたというものです。
ドラマのギュルフェムからは想像できない話ですし、その頃ギュルフェムはすでに60代になっていたと思われますので、夜伽は考えにくいのですが、ギュルフェムが毎晩寝所を独占していては、他の側女に夜伽のチャンスがありません。そのため、他の側女ががチャンスを得ようとギュルフェムに変わって欲しいと頼んだ可能性はあります。
これはあくまで伝説ですから、本当のところは分かりません。しかし、ギュルフェムが不審死したことだけは事実です。スレイマンがギュルフェムを側に置いて話さなかったらしいので、この不審死はスレイマンによるものだと思われています。
ギュルフェム役はセレン・オズトゥルク
セレン・オズトゥルクは1980年7月23日イズミル生まれです。
2004年州立ハセッテペ大学音楽院を卒業、イスタンブールでテヤトロ・ケディという劇場などで舞台に立ちました。
2007年からはドラマや映画にも精力的に出演し、最新作はNetflixドラマ「アティエ」で巫女の役をしています。