スレイマンをして「まるで宮殿のようだ」と言わしめたアルヴィーゼ・グリッティの屋敷。現在は現存していませんが、「ベイオール」という地名の由来となったと言われています。
アルヴィーゼ・グリッティの屋敷「ベイオール・サライ」
ベイオールを含むペラ地区は古くからベネチア大使が住む屋敷などがある地区ですが、アルヴィーゼ・グリッティの屋敷もここにあったと言われています。
ベイオールとはベイ(名士)の息子(オール)という意味で、ヴェネチア元首の息子であったアルヴィーゼ・グリッティの屋敷(ベイオール・サライ)があったことから、この地区がベイオールと言われるようになったようです。
当時のものではないのですが17世紀にベネチア大使が使用していた公邸が現在はイタリア領事館として使用されています。この建物も実際に建てられたのは16世紀ごろのようですので、アルヴィーゼの屋敷のイメージはこれに近いのでしょうか?
ちなみに文献ではグリッティの屋敷の近くにはアヤス・パシャの屋敷もあったようなのですが、マトラークチュの作品「ミニチュア―ル」に描かれているこの辺りの風景はどちらかというと田園地区で、建物は少ない感じです。まあ、環境的にはよさそうですね。
この地区は16世紀まで未開発なので、広い土地が得やすかったのでしょうね。
それ以前のヨーロッパ各国の大使館はガラタ地区にあったようですが、1536年頃からこの辺りの開発が始まったため、フランス大使館などもこの辺りに置かれることになり、以降ヨーロッパの大使館がこの辺りに集中することに。
トルコ革命で首都がアンカラに移った現在もこれらの建物はそれぞれの国の領事館として使用されています。
ベイオール その後
そういう成り立ちからこの地区は当時からいわゆる外国人が多く住んでいました。ここに古くから住む人たちは多言語を理解することができたため、本国からやって来るトルコ語が分からない大使や旅行者の通訳として雇われたりしたとか。
この地区が最も輝いていたのは19世紀で、オスマン帝国の力が弱まり、外国の影響力が増すとともに、彼らは金融や貿易で莫大な富を築いたようです。
その頃には娯楽施設やホテル、劇場なども充実していたため、多くの人々が集まり、一大観光都市となっていたのです。
現在でもおしゃれな建物がたくさん残っているベイオール地区。
昔アルヴィーゼがいた頃とは全く違う姿になってしまっていますが、イスタンブール観光に訪れた際はぜひとも訪れたいものです。