ドラマ内では無能な中年の王として描かれているラヨシュ2世ですが、実際は享年20歳の若い王でした。
ドラマ内の設定とは言え、あまりにもかけ離れた設定に少々疑問に思ったのは、「なぜ中年男として描かれたのか?」という点です。
ドラマとは全く違うラヨシュ2世の実像
ラヨシュ2世の事を調べてみると、ドラマで描かれた「無能な王」のイメージとはまるで違う実像が明らかになりました。
ラヨシュ2世の父王ウラースロー2世は、息子にジローラモ・バルビ等の学者を教育係に付け、高度な教育を施しました。ラヨシュ2世は賢い子供であったと言われ、6か国語を理解し、様々な最先端の学問を身に付けていたといいます。
さらに剣術や狩猟も得意で、なかなか活発な青年だったようですね。
ただ、享楽的な面もあったようで、飲酒やパーティーなども好んでいたという記述もありました。しかし、これも年齢を考えれば別に特別おかしなことはありません。若さを謳歌していたんでしょうね。
ラヨシュ2世の生い立ち
ハンガリー語のwikiをみると、ラヨシュ2世は生まれた時から苦労の連続だったことが分かります。
ラヨシュ2世の父ウラースロー2世はポーランド王カジュミシュ4世とハプスブルグ家出身のエリザベートの間に生まれ、その血筋からボヘミア王となります。その後ハンガリー王マーチャーシュ1世に嫡子がいなかったためにハンガリー貴族に推されてハンガリー王となりました。
ウラースローの三人目の妻アンナがラヨシュの母親です。
しかし、母アンナは、妊娠中ベッドから起き上がることができないほど具合が悪く、早産で彼を出産しました。この時未熟児のラヨシュ2世の体温を維持するため豚の腹を裂いて保育器代わりにしたといいます。まだ温かい豚の遺体に包まれる赤子・・・なんとも衝撃的な光景ですよね。
出産で消耗したアンナは出産の2週間後に命を落としてしまいます。
そして父ウラースローもラヨシュが10歳の時に亡くなり、ラヨシュが即位することになります。
意図的なラヨシュ2世の設定
ところでスレイマンが初めてラヨシュを攻めたのは1521年、この時ラヨシュはまだ十代の子供だったはずですよね?
しかしドラマでは太った嫌な中年男として描かれています。それはなぜなのでしょうか?
一つ考えられるのは、責められているラヨシュが少年だった場合、いくら敵とはいえそれを攻撃するスレイマンがどう見えてしまうかという問題です。
このドラマは偉大な皇帝スレイマン1世の物語です。
もしもスレイマンが攻め滅ぼしたのが「賢い少年王」だと、さすがに印象が悪すぎるので、あんな設定になってしまったんではないでしょうか?
ラヨシュ2世死亡の経緯
ラヨシュ2世は、モハーチの戦いで敗戦して逃げる途中で増水したドナウ川の支流で溺れて命を落としたと言われています。
しかし、行方不明になっていたラヨシュ2世の遺体を発見したのがサポヤイ・ヤーノシュであったため、当時はラヨシュの命を奪ったのはサポヤイではないかという説もあったようです。
ただ、その説を唱えていたのが、ラヨシュ2世の父ウラースロー2世に王位を奪われたと主張していたマーチャーシュ1世の庶子ヤノシュ・コルヴィンに仕えていた歴史家であったため、この説については現在のところ否定されています。
いかがでしたか?オスマン帝国外伝では残念な描かれ方をしていますが、ラヨシュ2世の本当の姿は決して愚かな太った中年男ではないことは、若くして命を落とした彼の名誉のためにここに記しておきたいと思います。