ドラマで唐突に語られたムラトの「親友」ムーサが命を落とすことになった事件について、まったく予備知識がなかったため、初めに観たときには困惑してしまいましたが、どうやらムラト4世には「とある噂」があるようです。
ムラト4世と小姓たち
「怪力」「残忍」などの様々な伝説があるムラト4世ですが、実はもう一つなかなか興味深い「噂」があります。
若すぎるムラト4世が「母后に取って代わろうとする側女」に操られることを恐れた母后キョセムが、「若く美しい少年」をムラトの周りに集めて「あらゆる世話」をその少年たちにさせていたというのです。「あらゆる」には、日常の世話以外に「性的欲求」も含まれていて、そのせいでムラトは女性より男性を好むようになり、今度は「世継ぎ」ができないことに不安を覚えたキョセムがムラトの元に多くの女性を送り込んだものの、ムラトはあまり興味を示さなかったという話です。
この話は少し誇張されているような気もしますが、いろいろなサイトを見て回った印象ではムラト4世に「その気」があったのは否定できません。
このブログでも書いたのですがムラトはシラタ―(シラフタール)ムスタファを「愛して」重用していたと伝えられており、ムラトの周りには「イケメン小姓」上がりの側近が相当いたようです。
オスマン帝国と「少年愛」
デヴシルメ(徴用)で各地から連れてこられた少年たちは、教育施設に入れられ、その能力に応じて様々な仕事を割り当てられるのですが、その少年たちの中でも優秀で美しいものは特にiç oğlan(日本で言う小姓のような存在?)として宮殿に連れてこられ、皇帝の身の回りの世話をするのですが、彼らは髭を生やすことは禁じられていて、なぜか「美しい顔」は宮殿の外に出る時は女性の様に顔をベールで覆って隠すように決められていました。
女性が顔を隠すのは「無用な欲情を掻き立てないため」だったはず。なぜ男の顔を隠すのか?とても怪しいw
初めこれを知った(というか、サイトで読んだ時)、オスマン帝国が欧州の少年を強制的に徴用することから、そういう伝説が生まれたのかもしれないと思いましたが、男性同士の春画が描かれた「ミニチュア―ル(細密画)」が存在しています。
まあ、日本でも戦国時代などは戦場に女性は連れて行けないのでそういう目的の少年を同行していたりしますから、戦いに明け暮れていたオスマン帝国にそれがあっても不思議ではありませんよね?
しかし、19世紀のタンジマートで西洋の「同性愛」=「悪しきもの」という考えに従い、この習慣は封印され、記録からも抹消されなかったことに。
ちなみにその辺りの研究をしている方がいらっしゃいました。
↓Nailya Shamgunovaというケンブリッジ大学の「オスマン時代のソドミー」研究者による考察
このサイトには彼女のSNSのリンクも貼られていましたが、今はクローズされています。(察し・・・)
ムーサ事件
iç oğlanは20歳くらいで配置換えされるようですが、皇帝のお気に入りは出世しがちです。ムーサもそのひとりでした。
ドラマの中で描かれていたムラトのお気に入りムーサを巡る事件について、それらしい話が書かれているサイトをみつけました。
↓閲覧注意 性的な画像が含まれます
それによると、ムラトはお気に入りの少年たちを自分の周りに置き、色々な役職につけるため、それ以外の家臣たちは不満をため込んでいたようです。
その中に「ムーサ」という少年もいて、ことさら寵愛をしていた様子。
ただでさえ国内は反乱が頻発していた上に、皇帝が自分の「お気に入り」の少年を厚遇するため、国内は混乱、イニチェリが宮殿に押し入る騒ぎになりました。
※イニチェリの傍若無人ぶりはドラマでも描かれていましたが、このサイトにはムラト4世の兄オスマン2世がイニチェリに襲われた際に「レイプされた」ということが書かれています。それが事実かどうかは分かりませんが、そういう記録があったようです。どうも当時イニチェリの間では少年に対するそういう行為が頻繁に行われていたらしく、敵地でも少年狩りが行われていたとする伝説が他国のwikiなどには載っていました。
この事件が起きた時、ムラトは自分の愛するムーサを暴漢から守るよう大宰相に命じたものの、大宰相はそれをせず、寧ろムラトの寵愛を一身に受けるムーサを憎み、命を奪ったという話です。その後ムラトはその大宰相を処刑していますが、あの鉄槌による処刑はムーサを奪われた憎しみを込めたのかも?
ムラト4世の話としては、他にもイスタンブール出身の音楽家の少年をムラトが気に入り、彼をいきなり宰相に取り立てようとしたという話もありました。
前作のスレイマン1世とイブラヒムにもそのような噂がありましたが、イブラヒムは有能だったため、オスマン帝国は大いに栄えました。しかし、ムラトのお相手はそのような能力がなかったのか、あるいはムラトが自分より仕事ができるような人間が好きではなかったのか・・・どちらにしても彼らは国政にはあまり貢献していませんでした。
他の周辺国のwikiなどを見ると、ムラトのハセキ、アイシェはムーサの妹だと書かれていたり。もちろんwikiだけでは完全に真実とは言えないでしょうけど、それくらいムーサはムラトにとって重要な側近だったということでしょう。
エブリヤ・チェレビとムラト4世も?
旅行作家エブリヤ・チェレビはドラマでも登場していましたが、ムラト4世との「親密さ」が伝説として残っているようです。
ただし、トルコ歴史協会はこの説を否定しているので、エブリヤとムラトの「親密さ」を記述した本を「有害図書」に指定しました。
名目上は「青少年の性被害を助長する」という理由です。
↓こちらはトルコ歴史協会のサイト 歴代スルタンの評はいいことしか書いていない。
もう一人の「愛人」ユスフ
それ以外にも、エミルギューネことユスフもムラトの愛人として知られていたようで、これについては色んなサイトにその寵愛ぶりが記載されています。
しかも、「ユスフはその(性的)技能で皇帝を虜にした」と内容がかなり具体的に書かれています。
※サイトによってはどんなことだったのかものすごく具体的に書いていましたが、さすがにここに載せるのは気が引けるので・・・。
ネット上にはこの手の話が大量にあったので、少なくともトルコではムラトに関してそういう「噂」はあるということですよね。私の妄想じゃなかった(笑)
ちなみにユスフという名前は改宗したときにつけた名前ですが、前作で「美しい顔のユスフ」の話が出てきたのを思い出し、ユスフが「美しい顔」だったんだろうなと妄想したりw
※トルコのwikiではムラト4世時代の大宰相の説明にやたら「美しい顔」がでてくるので、ムラトは結構面食いだったんじゃないかな(笑)
正直これらの「噂」がどこまで事実なのかは私には分かりません。ドラマでは出てきませんがユスフの妹もムラトの後宮に入っていたようですので、妹を寵愛していたから彼らを優遇した可能性もあるかも。
ただ、トルコの視聴者さんたちはこういう「噂」は知っていると思うので、ドラマ制作者もあえてそれを「匂わせ」ているのではないかと思います。