シャー皇女が寄進をしようとしていたスンビュル教団の創始者スンビュル師。
史実でもシャー皇女はスンビュル教団に傾倒していたようです。
ドラマに出てくる「スンビュル」と名前がごちゃごちゃになりそうですが、宦官長スンビュルとは関係ありません。
「スンビュル師」とはどういう人物なのでしょうか?
スンビュル師とは?
スンビュル師は本名ユスフ・シナンといい、イスラム教の聖人です。
1451年メルツィフォンに生まれ、14歳まで故郷で過ごしました。その後、勉学のためにイスタンブールに移ります。
イスタンブールでスーフィーの聖人エフダルザデ・ハミミュッディン師に師事し、イスラムの教義を研究していました。
ある日、ハミミュッディン師は弟子たちに神にささげる花を持ってくるように指示しました。弟子たちは様々な美しい花を持参しましたが、ユスフだけはなぜか枯れたヒヤシンスを持参しました。
ハミミュッディン師はなぜその花を選んだのかとユスフに尋ねました。
ユスフは「花を摘もうと花壇に行きましたが、どの花もアラーの栄光を指し示すように咲き誇っていて、恐れ多くて切り取ることはできませんでした」といい、その時傍らに落ちていた枯れたヒヤシンスが目に留まり、それを拾って持ち帰ったというのです。
それを聞いたハミミュッディン師は、ユスフに「スンビュル(ヒヤシンス)」という名を授けました。それ以降、彼は「スンビュル師」と呼ばれるようになったのです。
その後、47歳でイスラムの長老になり、死ぬまで金曜礼拝を取り仕切ることになります。
スレイマンの父セリム1世は、スンビュル師を敬愛していて(ドラマでも「セリム1世のエジプト征服を予言したりしてセリム1世との関係が深いという話がありましたよね?)、自分が建てた新しいモスクの開眼式をスンビュル師にさせたりしています。
スンビュル師の死後、弟子のメルケス師が後継者としてスンビュル教団を継承しました。
今も残るスンビュル・エフェンディ・モスク
スンビュル師の教えは現在も健在で、スンビュル・エフフェンディ・モスクでは多くの信者がイスラムの教義を学び、イスラム書道やボランティア活動などを行っています。
↓はスンビュル・エフェンディ・モスクのウェブサイト
Sümbül Efendi Cami İnternet Sitesine Hoşgeldiniz! Koca Mustafa Paşa Camii ve Dergahı
スンビュル教団はyoutubeなどでも説教を配信し、現代的な手法でも教義を広めようと努力しているようです。
イスラム教徒でない私たちがモスクで行われている礼拝を垣間見ることができるとは、いい時代ですね。
特に女性は男性のモスクには入れないので、こういう配信は貴重です。言葉は分からないですが、雰囲気は伝わりますね。
いかがでしたか?スンビュル師は皇帝にも敬愛されていたイスラムの聖人だとわかりました。
戒律により肖像画などは残されていませんので、彼の容姿は分かりませんが、今でも彼の教えは脈々とトルコに息づいているようです。
youtubeなどの動画配信をお手持ちのテレビで・・・そんな方にお勧め↓