オットマニアな主婦のブログ

オスマン帝国外伝にどハマリしたオットマニアな主婦の独り言です。(注意:ネタバレありですので、本編を観てから読んでください)

オスマン帝国外伝で気になった人物 ムスタファ皇子の母マヒデブラン

ヒュッレムが後宮に入ってからずっと敵対関係にあるマヒデブラン。

レイマンが帝位につく前から寵愛を受けていて、ムスタファ皇子を産んだことでハセキとして君臨していましたが、ヒュッレム登場によりその地位を追われ、スレイマンの寵愛を失いました。


 

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史実のマヒデブラン

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マヒデブランは1500年前後の生まれと言われています。本名はMalhurub、出身はクリミア説とアルバニア説があります。スレイマンの母后アイシェ・ハフサの妹の子という説もあります。

(だとしたら、スレイマンといとこ同士ということになりますが)

サルハン県マニサ宮殿に赴任していたスレイマン後宮に入り、1515年ムスタファ皇子を産みました。皇子を産んだ後、「マヒデブラン」という名を賜りました。

マヒデブランとはペルシャ語で「永遠に美しい」という意味です。

1520年スレイマンが帝位についたため、一緒にイスタンブール入りし、ヒュッレムが現れるまでハセキとして君臨します。

その後、成人したムスタファ皇子がマニサに赴任し、慣習に従ってマヒデブランもマニサに移りました。

ムスタファ皇子が謀反の罪で処刑された後、マヒデブランは皇子の側女たちと共にブルサに追放されています。

追放後は生活に困窮し、家賃も払えなくなったりしていたようですが、ヒュッレムの死後、セリム2世が彼女の借金を肩代わりし、生活の援助をしているのです。もしかしたらムスタファ皇子への罪滅ぼしだったのかもしれません。

息子の死後、寂しい余生を過ごしたマヒデブランは、1581年その波乱の生涯を閉じました。

 

シーズン4のマヒデブラン

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ムスタファ皇子のためにメフメト皇子を暗殺したマヒデブランは、当然ムスタファ皇子がマニサに戻れると思っていました。

しかし、死んだと思っていたヒュッレムが戻ってきてしまい、その目論見は外れてしまいます。

それどころか最有力のメフメト皇子を失ったヒュッレムは、ムスタファ皇子よりも見劣りするセリム皇子を帝位につけるため、本格的にムスタファ皇子を追い詰め始めます。

そしてムスタファ皇子は不幸な最期を迎えてしまうのです。

皇子を失ったマヒデブランは、悲嘆にくれる間もなく追放処分となり、わずかな付き人とともに宮殿を後にすることになります。

マヒデブラン役はヌル・フェタフォール

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ヌル・フェタフォールは1980年11月12日ドイツのデュイスブルク生まれです。その後、家族でトルコに戻り、高校はベクタシュ高校を卒業し、ハリッチ大学でファッションデザインを学びました。

卒業後は銀行に勤務し、その後テレビで市況番組のアンカーを務めました。

Benden Baba Olmazというドラマで女優デビューし、ドラマの他、CMなどにも出演しています。

最新作は2020年放送予定の「BABİL」で、ハリット・エルゲンチェやオザン・ギュベンと共演しています。

 

いかがでしたか?ドラマではいつも思慮の足りないところを見せていたマヒデブランですが、もしも母后の姪というのが事実だとしたら、母后がマヒデブランに肩入れし続けたのもうなずけますし、ヒュッレムが現れなければ間違いなく正妻になっていたはずです。しかし、残念ながらそうはなりませんでした。

マヒデブランの余生は寂しいものでしたが、セリム2世が即位後に困窮していたマヒデブランに手を差し伸べたことは唯一の救いではないでしょうか?

 

 

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