ドラマでは当初バヤジット皇子の師父(lala)として仕えながら、ヒュッレムの死を予感してセリム皇子に鞍替えし、セリム皇子を完全勝利に導いた狡猾な策略家として登場しているムスタファ師。
今回はムスタファ師の人物像について調べてみました。
オスマン帝国の皇子たちの教育係 師父(lala)制度
オスマン帝国では皇子たちがある程度の年齢になると軍政官として地方に赴任しますが、未熟な皇子たちをサポートするために有能な政治家から「教師」として赴任先について行くのがこの「師父」です。
師父は一人の時もありますが数人付けられる場合もあります。
その場合は政治や軍事以外の一般教養的な学問や書道を教える師父も含まれていたようです。
すべての事に未経験の皇子たちに治政や軍事の指導をし、未熟な皇子の代わりに実質的に軍を掌握しているため、その力は絶大です。
ちなみにセリム皇子にも師父はつけられていましたが、早い時期に亡くなってしまっています。
ムスタファ師(ララ・ムスタファ・パシャ)
ムスタファ師は1500年代にボスニアで生まれました。
実はムスタファ師はドラマでハティジェの再婚相手になったヒュスレヴの弟です。史実ではヒュスレヴはハティジェの夫ではないようですが、ヒュッレムとリュステムの陰謀で大宰相になることができずに失意のうちに亡くなっています。
ムスタファ師はこのヒュスレヴの引き立てでセリム1世時代に宮廷入りしたようです。
ちなみにドラマでソコルルと親族だという話がありましたので調べてみたところ、トルコのウィキでもヒュスレヴのところにソコルル家との関係が載っていましたので、やはりソコルルとは親族のようです。
スレイマンは序列を無視して人事をすることがよくあったので、ソコルルが言うように不遇な目に遭ってきたのでしょう。
始めに宮廷入りした時は皇帝のひげを整えたり髪を切ったりする、いわゆる床屋のような仕事をしています。床屋仕事は刃物を使うため、信用できるものしか任命されません。床屋仕事をしている時にスレイマンに気に入られましたが、リュステムが大宰相になると宮殿から離れ、パレスチナの行政区に赴任しました。
1556年にセリム皇子の師父に任じられてマニサに赴任しました。
※ムスタファ師がもともとバヤジット皇子の師父であったことは分かっていますが、いつ頃赴任したのかはちょっとわかりませんでした。
ムスタファ師がセリム皇子の師父になった当時、バヤジット皇子の方が後継者としては優勢でした。しかし、ムスタファ師がセリム皇子にスレイマンへの手紙を書かせ、二人の対立を知ったスレイマンが「喧嘩両成敗」のためにセリム皇子はコンヤに、バヤジット皇子はアマスヤに赴任地を変えられてしまいました。
この流れはドラマでも描かれていますね。
1560年、ムスタファ師はヴァン州の軍政官に任じられています。
ヴァンは、トルコの東の端にある州で、イランやイラクとの国境近くにあります。
バヤジット皇子処刑が1561年ですから、処刑の1年ほど前に師父から軍政官に出世したようです。
セリム2世時代にはベネチアに奪われたキプロス奪還の遠征を強行に支持、1570年軍人として海軍提督ピヤーレと共にキプロス島に上陸し、奪還に成功したため「キプロスの征服者」と呼ばれています。
ムラト3世の時代にはイラン遠征にも司令官として参加しています。
その後、大宰相ソコルルが暗殺され、ムスタファ師は大宰相に任じられますが、なってわずか3か月ほどで亡くなっています。正確な年齢は不明ですが80歳近い高齢であったと思われます。
ムスタファ師はスレイマンの息子メフメト皇子の娘ヒューマーシャと結婚し、息子が一人いたようです。
ムスタファ師役はMacit Koper
Macit Koperは1944年3月1日イスタンブール生まれ。
高校生の時に演劇に目覚め、LCCアクタースクールで演劇界の巨匠Muhsin Ertugrulらの指導を受けました。
1969年からはドストラー劇場で俳優兼監督として働いていましたが、1979年、劇場が資金難で閉鎖され、イスタンブールシティシアターに移りました。
しかし、1980年のクーデター事件で公務員を解雇する法令が施行され、市営劇場に属していたMacit Koperも解雇されてしまいました。
以降映画界に進出、1983年には「Seni Seviyorum」という映画の脚本を手掛け、それ以降演技、脚本、監督など意欲的に活動しています。
1989年裁判でシティシアター解雇が不当であるという判決を得て劇場に復帰し、現在に至っています。
1984年Bir Yudum Sevgiという映画で「アンタルヤ国際映画祭」で「最も支持される俳優」という賞を受賞しています。
いかがでしたか?ムスタファ師はセリム皇子の後継者争いにおいて大きな役割を果たしました。実際のムスタファ師はどちらかというと軍人としての功績が大きいようです。
ソコルルとの関係性から、ドラマとは違い始めからセリム皇子側であった可能性があると思いますが、そのあたりは不明です。
ただ、これからのドラマにおいてはムスタファ師の活躍の場はなさそうです。
なぜなら、彼が本領を発揮するのは次の治世からだからです。