ヴァリデ・スルタン(母后)という称号を始めて与えられたのは、史実ではスレイマンの母アイシェ・ハフサではなくヌル・バヌです。
政治に関心を示さない夫に代わり政治を取り仕切ったといわれるセリム2世の妻ヌル・バヌは、本名はセシーリア・バッフォといい、ユダヤ系ヴェネチア貴族でした。
セシーリア・バッフォはシーズン4では海賊に連れ去られて後宮入りすることになります。
史実でのヌル・バヌ
ヒュッレムに気にいられたヌル・バヌはマニサのセリム皇子の後宮に送り込まれ、セリム皇子の側女となり、ムラト皇子を産みます。
セリム皇子が帝位についた後は、夫が政治に関心を持っていないのをいいことに、かなりの影響力を持ったといわれています。
また、セリム2世が亡くなった後、夫の死を隠してひそかにムラト皇子を呼び戻し、即位させました。
ドラマでのヌル・バヌ
ヌル・バヌことセシリア・バッフォは海賊に連れ去られ、宮殿に連れてこられます。
貴族から奴隷になったセシリアは、自身の身の上を嘆いていましたが、ヒュッレムに気に入られ、ヌル・バヌという名を賜り、マニサに赴任するセリム皇子の側女に選ばれます。
しかし、ヌル・バヌはセリム皇子に全く相手にされません。そこで彼女は皇子の気を引くために様々な工夫を凝らし、次第にセリム皇子の心を射止めることに成功していきます。
フーリジハンとの確執
セリム皇子とバヤジット皇子の確執は、当然のように二人の妻たちの関係も悪化させていきます。
セリム皇子の妻ヌル・バヌとバヤジット皇子の妻フーリジハンはあることをきっかけに言い争いになり、ヌル・バヌはフーリジハンの命を奪ってしまいます。
それにより、セリム皇子とバヤジット皇子の仲はますます険悪になっていくのです。
ヌル・バヌ役はMerve Boluğur
Merve Boluğurは1987年9月16日イスタンブール生まれ。ムジダトゲン・アートセンターで演劇を学び、モデルとしてCMなどに出演していましたが、2005年に「Acemi Cadı」というドラマで主演し、本格的に女優となりました。
その後も多くのCMに出演し、メイベリンNYのトルコ初のCMキャラクターになりました。
2015年にはシンガーソングライターのMurat Dalkılıçと結婚し、夫のアルバムでデュエットを披露しましたが、2017年に離婚しています。
2017年にはİçimdeki Fırtınaというドラマで主演しています。
2018年には自身の名を冠したコスメブランドを立ち上げ、口紅などを販売しているようです。
いかがでしたか?ヌル・バヌは、初めはセリム皇子に全く相手にされていませんでしたが、姑のヒュッレムに気に入られることで道を開きました。
そしてダメダメ皇子だったセリムを皇帝にするために奮闘し、夫の死後は息子を皇帝にするために行動しました。そういう意味ではすでに皇帝だったスレイマンに取り入ったヒュッレムよりも大変だったと思います。夫と息子の二人を自らの手で皇帝に祭り上げたヌル・バヌは、その功績により「ヴァリデ・スルタン」という称号を与えられたのです。