チャンネル銀河で「新オスマン帝国外伝 影の女帝キョセム」をご覧になっている方々、前作のシーズン4を引き継ぐシリアスな内容にちょっと気持ちがなえているかもしれません。
確かにこの作品自体かなり壮絶な話で、前作での「ヒュッレム」のような華やかなキャラクターが今のところいないというのが、今後もこのドラマを観続けてもらえるかどうかという不安もあります。でもなあ~このキョセム、後半になるほど面白いんですよ。問題はそこまで皆が見てくれるかどうかってことでね・・・。
私的には早く話が進んで欲しいところです。
今回はせめて少しでも話に興味を持ってもらいたいと思い、当時の状況について書いていきたいと思います。
「兄弟殺し」の慣習
オスマン帝国では新皇帝が即位すると、反乱を警戒して皇帝の兄弟が処刑されるという、悪しき慣習がありました。それ以外にも父である皇帝が自分の後継者と定めた皇子以外の息子を排除するということも行われています。
前作でもムスタファ皇子やバヤジット皇子が非業の最期を遂げましたよね?
このキョセムでも、のっけから19人もの皇子が処刑されるというショッキングな話から始まりました。本当に年端もいかない子供ですら処刑されたのですから、現代の価値観ではとんでもない暴挙に思えます。
ドラマでもアフメトが幼い弟ムスタファ皇子の処刑をしないことを宣言しましたが、やはりというか、そのムスタファ皇子を巡って事件が起こり、若いアフメトの心を悩ませます。
結局外野がいろいろと騒動を起こしてしまうために皇子たちが犠牲になっている気もします。だいたいあんな幼いムスタファ皇子が反乱なんか起こすはずはないですよね?
担ぐ奴がいなければ事件も起こりませんよ。
実はこのドラマの主軸は、その慣習をやめようとしたために起こる騒動がメインとなっています。
「女人統治」時代
ヒュッレム以前の妃が国政に関わることはほぼなかったようですが、ヒュッレム辺りから他国の王族と交流を持ったりして政治に関与するようになってきています。
オットマニアが最も忌み嫌っていた(笑)ヌルバーヌは、セリム2世が政治に関心がないのをいいことに母国ヴェネチアに有利になるように情報を流していたと言われています。当然同じバッフォ家の人間であるサフィエも同じ道を歩んでいたでしょう。
しかも、ヌルバーヌと違い、夫→息子→孫と、三代に渡っての統治・・・はい、もう主ですね。夫も息子も政治から距離を置いていたんですから。
そんなサフィエから見れば孫なんてちょろいもんです。
しかし、アフメトは一筋縄ではいかなかった!先代、先々代とは違い、自ら政治をしようと考えている様子。まだ中学生の年齢ですよ・・・中二が大帝国の皇帝ってヤバイかも・・・。
実務なんてわかるはずもないしね。周りも傀儡にする気満々。サフィエもまだ現役続行しようとしてるけど、アフメトの母后ハンダンは何とかして自分が天下を取ろうと必死・・・でもなんか頼りない・・・結局デルヴィーシュ頼みになってる。
いくら女人統治といっても、実務は男性がやるわけで、いかに有能なパシャを味方に付けているかが重要なんですよね。
でもこの二人・・・ちょっとただならぬ関係に見えちゃうんです。実際に関係があるとは思わないんですが、お互い想いあっている感じしません?デルヴィーシュにそれ以上の欲がなければいいんですけど。
アフメトが若すぎるのでムスタファ皇子はまだ生かしておきたいサフィエ。
アフメトが夭折した場合、跡継ぎがいませんもんね。で、ハンダンは早いとこアフメトに子作りさせようと必死になるも、アフメトはまだそんな気はなし。
まじめですねwヒュッレムの息子のメフメトは早く側女が欲しいって言ってたのにw
せっかく夜伽に入ったアナスタシアでしたが、二人は清い交際からスタートしました。
しかもアナスタシアは、自分がアフメトのために「狩られた」ことを知って激怒・・・そりゃそうだ。
贈り物ってなによ?私は人間よ!ってなりますよね?この調子だと「世継ぎ」はまだできそうにないな・・・。
どうなる?ムスタファ皇子
ハリメがムスタファ皇子を逃がそうとしたせいで、逆にアフメトに処刑する口実を与えてしまった感じがします。いえ、アフメトは殺したくないんですけど、生かしておいては自分が廃位されてしまう可能性がありますしね。
とはいえ、かわいらしいムスタファ皇子が怖い目に遭うのを見て辛いです。しかし彼の苦労はこれから始まるのです。ネタバレになりますが、彼がすぐに死ぬことはありません。史実では2回も即位しています。なんで2回か?それはドラマを観てのお楽しみ。
彼の人生は自分以外のものに翻弄される人生でした。彼が初めて幽閉部屋「カフェス」に閉じ込められた皇子なんです。幼いころからそんなところに閉じ込められたらどんなにつらいか。そのせいで彼の精神は壊れて行ってしまいます。
いかがでしたか?今回は「慣習」について書いてみました。
最盛期から斜陽にむかうオスマン帝国で「短命皇帝」が続いてしまったことが皮肉にも兄弟殺しをやめるきっかけになったようです。
しかし命こそ奪われなかった皇子たちですが、必ずしもそれが安穏たる生活を保障するものではなかったでしょう。