ドラマにおいては、チェチーリア・バッフォことヌルバーヌは、ヴェネチア貴族バッフォ家の出身で、フズルの海賊行為により奴隷としてスレイマンに献上されました。
コルフ島で拉致された?チェチーリア・バッフォ
ドラマでは、婚約者に会うため訪れたコルフ島で賊に襲われましたが、史実では少し違うようです。
wikipediaでは、チェチーリアの伯父セバスティアーノ・ヴェニエルがオスマン帝国に姪のチェチーリアをイスラム教に改宗させたうえで売り渡したと書かれています。
このセバスティアーノ・ヴェニエルというのは、のちにヴェネチアの元首(ドーチェ)となる人物です。
ヴェニエルは政治的意図をもって姪をスルタンの後宮に送り込んだといわれています。
しかも、ヌルバーヌとセリム2世の息子ムラト3世の妻サフィエもバッフォ家の出身です。
サフィエはコルフ島で賊に拉致されたことになっていますが、この経緯からサフィエも一族のために送り込まれたという可能性も捨てきれません。
史実では初めて「ヴァリデ・スルタン」となったヌルバーヌ
史実ではヴァリデ・スルタン(母后)という称号を初めて贈られたのはヌルバーヌだそうです。つまりドラマで「母后」として登場するアイシェ・ハフサ・スルタンは、実際には(少なくとも対外的には)「母后」様とは呼ばれていなかったのです。
ヌルバーヌはセリム2世の死後、摂政として息子のムラト3世を助けることになります。
当時の支配層の共通言語はラテン語です。そのためヴェネチア出身のヌルバーヌは直接彼らと手紙をやり取りすることができました。実際カトリーヌ・ド・メディチや、エリザベス1世とも交流があったといわれています。
外国とのやり取りの時、自身の称号として「ヴァリデ・スルタン」を使用していたのです。
「母国に恩恵」で憎まれた?
ヌルバーヌは、フランスやイギリスとの同盟を使って、帝国を「親ヴェネチア」に導いていました。そのためヴェネチアと敵対するジェノバなどに憎まれていたようです。
ヌルバーヌは1587(一説には1583)年に不審死していますが、ジェノバから送られた暗殺者に殺されたという説もあります。暗殺されるほど母国を優遇していたんですね!
ヌルバーヌ役はMerve Boluğur
MerveBoluğurは1987年9月16日イスタンブール生まれのモデルで女優です。
2006年にテレビシリーズの「Acemi Cadı 」で、主役のAyşegülを演じて一躍人気者になりました。また、CMなどにも出演、2014年にはメイベリン・ニューヨークのトルコでのアイコンになりました。
現在は自身のブランドを立ち上げ、口紅などを販売しています。
↓は「Acemi Cadı 」の予告編
ドラマでは予期せぬ運命で後宮に送り込まれたヌルバーヌですが、史実ではヒュッレムとは違い、政略的に送り込まれたようです。彼女はオスマン帝国を後宮から操り、文字通り「女人統治」を築き上げた女傑だったのです。