頑なに「現金でのワクフ」を否定するフェネリザーデ師は、エブッスード師の前任のイスラム長老です。
フェネリザーデ師は、「皇帝ですら」イスラムの長老という役職を解くことができないというのですが、絶対権力者が解任できない役職とは一体どういうことなのでしょう?
オスマン帝国の宗教の要「長老(Şeyhülislamı)」
1424年ムラト2世に任命されたモラー・フェナリが、オスマン帝国における制度上の最初の長老とされています。 それ以前から、長老と呼ばれる存在はあったのですが、正式に役人として成立したのがこの頃だそうです。
長老というのは宗教問題における最高責任者であり、コーランやイスラム法の解釈を広く流布する仕事をつかさどっていました。
それ以降、1922年に最後の長老メデヌヌメリが辞任したことにより、その歴史を閉じるまで、498年もの間、帝国の宗教と法律の番人として存在し続けていました。
オスマン帝国では、世俗の法律よりもイスラム法が重要視されていましたので、イスラムの長老の権力は絶大で、皇帝からも一目置かれる存在でした。
今でいうと、イランのハメネイ師がそれにあたるのでしょうか?
スレイマン1世による改革
ドラマでもあったように、頭の固いフェネリザーデ師をスレイマンが窘め、辞任した後にエブッスード師がこの長老の地位を得ます。
それまで長老を選ぶときに決まったルールがなかったため、スレイマン1世は新しく長老を選ぶ際の法体制をエブッスードに編纂させてそれ以後はそのルールにのっとって長老が選ばれることになりました。
フェネリザーデは名家の出身
ドラマでも奴隷上がりの改宗者への敵意をむき出しにしているフェネリザーデですが、史実でもオスマン帝国創世時からの特権階級出身でした。
記録によるとフェネリザーデはピーリー・メフメト・パシャやエジプトで反乱を起こしたアフメトと懇意にしていたようで、イブラヒムが大宰相になることに反対の立場を取っていました。イブラヒムの死後もアヤス・パシャと地位を争ったのですが、アヤスから「恩給」として1日当たり150アクチェを受け取ることで政界からの引退を合意し、巡礼の旅に出ました。アヤス・パシャの死後、復権を画策しイスラム長老の地位を得たとなっています。これを見る限り、やはりスレイマンへの不満を長年持ち続けている上、とても清廉潔白とは言えないように見えます。
そして、その後フェネリザーデは長老になって2年10か月で年齢を理由に辞任します。
フェネリザーデ役はİskender Altın
İskender Altınは1964年4月6日生まれ。意外に若いですね!もっと年配かと思っていました。エスキシェヒル出身でアンカラ大学音楽院で演技を学んでいます。
最近ではDiriliş: Ertuğrulにもオメル役で出演していたようです。
いかがでしたか?ネフェリザーデは史実でも筋金入りの反スレイマン派のようです。ドラマでは出てきませんでしたが、アヤスはネフィリザーデと大宰相を争っていたことを知って驚きました。史実では年齢を理由に引退したとなっていますが、その後長老選定のルールが厳格化されたことを見ると、ドラマのようなことがあったのかもしれません。