ドラマの中でハティジェが隠していたイブラヒムの遺産は国家歳入の半分という巨万の富でした。
イブラヒムはそれほどまでに蓄財に熱心だったのでしょうか?
意外に清廉潔白だった実在のイブラヒム・パシャ
ベネチア大使ブラガディーノが自国に書いた書簡には、「イブラヒム・パシャは偉大な紳士」であると書かれていて、秘密の賄賂などを受け付けない人物として紹介しています。もちろん、「秘密でない」贈り物は受け取っていたようなので、権勢を誇った有能な大宰相に付け届けをするものは多かったでしょう。
イブラヒムは当時の世界情勢を熟知していて、ヨーロッパ側のものから見ても実務者として有能な人物だったといわれています。
キリスト教世界に近すぎたことが命取りに
有能な人物として認知されているにもかかわらず、オスマン帝国史では、「有能だが自身の悪事により自滅した」と語り継がれています。
それは、オスマン帝国が、キリスト教世界との「ジハード」を繰り広げていたことと関係があり、キリスト教徒たちとの盛んな交流や、「偶像崇拝」を禁止しているイスラム教徒でありながらヨーロッパの芸術を好み、彫刻や肖像画を所有していたことが、敬虔なイスラム教徒たちに危険視されていたためだと思われます。
敵意を持ったイスラム教徒たちは「イブラヒムは野心を持っている」と吹聴して回りました。
絶対的な権力を持っていたイブラヒムをよく思わない勢力がこの噂を利用してイブラヒム排除に向かわせたといわれています。
イブラヒム処刑へのヒュッレム妃の関与
イブラヒム処刑後、ほどなくしてムスタファ皇子もスレイマンの命で処刑されてしまいます。イブラヒムがムスタファ皇子の最大の後見人であったことから、スレイマンに溺愛されていたヒュッレム妃が自分の産んだ皇子を皇帝にするためにスレイマンにイブラヒムを排除したとまことしやかに噂されています。
イブラヒム処刑を死ぬまで後悔し続けていたスレイマン1世
イブラヒムの死はオスマン帝国を混乱に陥れ、遠征の失敗も相まってスレイマンはイブラヒムがどれほど国政や軍功に貢献していたかを知ることになります。
スレイマンはイブラヒム処刑の20年後に「親友」についての詩を詠んでいますが、そこに書かれている親友の特徴がイブラヒムのそれと一致しているため、この詩はイブラヒムの事を偲んで読まれたものだといわれています。ちなみにヒュッレム妃は1558年に病没しています。この詩を詠んだ頃にヒュッレムとも死別したということでしょうか。
イブラヒムが処刑されたのは1536年、スレイマンは1566年没ですから、スレイマンはイブラヒム処刑後30年間も苦しんでいたかもしれません。
イブラヒムの蓄財の原資がなにかは分かりませんが、どうやら賄賂による蓄財というのは考えにくそうです。自身の功績による報奨金や、付け届けあたりが原資ではないかと考えられます。
いかがでしたか?ドラマではすでに命を落としてしまったイブラヒムですが、スレイマンの思い出の形でこれからも登場して、スレイマンを苦しめることになるかもしれません。