ドラマでは愛のない結婚生活の末に、アトマジャの復讐に協力して夫であったリュステムを切り捨てたミフリマーフ。
二人の結婚は確かに政略結婚でしたが、果たして本当に愛のない結婚生活だったのでしょうか?
リュステム・パシャ
スレイマンはリュステムが宮廷学校にいたころから知っていたようで、優秀なリュステムをスレイマンが娘婿にしようと考えたのですが、それに反対する勢力がリュステムはらい病だという噂を流してそれを阻止しようとしました。しかし、リュステムのシャツ(ドラマでは頭)に虱がいるのを発見した医師が、リュステムはらい病ではないと診断したため、ミフリマーフとの結婚が正式に決まったという話はドラマでも取り上げられていましたね。
リュステムについてはヨーロッパ側の資料では「残忍で忌まわしい」と書かれるほど、ヨーロッパ人にはあまりいい印象がないようですが、実務家としては有能で、遠征続きで破綻しかかっていたオスマン帝国の国庫を税制改革で満たしたといわれています。
※国庫が満たされた主な理由は国有農地を売却して農場主から税を取り立てるという、農地と税務の改革によるものでしたが、農場主は税金をごまかすため、農地への投資より役人に賄賂を贈る方に力を入れるようになり、国力が衰退する結果となったという説もあります。
ミフリマーフ・スルタン
ミフリマーフは、ドラマ内ではあまり政治的ではない印象ですが、史実ではかなり政治に口を出していたようで、ポーランド王のジグムント2世に書簡を送ったり、私費で400隻の船を建造させ、スレイマンにマルタ遠征を勧めたという話が残っています。
また、これもドラマとはかなり違いますが、セリム2世が即位後もヒュッレムの代わりに母后の役割を果たし、セリム2世との関係も良好だったようです。
ちなみにセリム2世は、バヤジット皇子との争いで私財を使い果たしたため、その借金をミフリマーフに肩代わりしてもらっていたという、話が残っています。
これらの話だけでもミフリマーフが莫大な財産を持っていたことが分かります。
ミフリマーフはセリム2世の死後、ムラト3世の治世中にこの世を去り、スレイマンやヒュッレムと同じ墓所に埋葬されています。
気になる夫婦仲は
リュステムがミフリマーフと結婚したのはリュステム39歳、ミフリマーフ17歳の時で、明らかに政略結婚ですが、皇女はほとんどが政略結婚だったため、ミフリマーフだけが好きでもない相手と結婚したわけではありません。
記録によると、リュステムはミフリマーフを非常に大切にしてしていたようで、宝石好きのミフリマーフのために頻繁に宝飾品をプレゼントしていたと、ベネチアの記録に残っています。
また、帝都に疫病が逸った時にはミフリマーフを連れて帝都から離れ、自分はそこから帝都に船で通勤したという記録もあります。
リュステムは愛娘ヒューマーシャが疫病にかかり、それを看病しているうちに自分もその疫病にかかって亡くなったという話が残っていて、実に家庭的な人物だったことが分かります。
そのためか、ミフリマーフはリュステムの死後再婚はせず、25年後に寡婦のままこの世を去りました。これを見る限りでは二人の関係は悪くはなかったと思えます。
※リュステムとの関係性はドラマほどは悪くなかったと思いますが、再婚しなかったのは、セリム2世がミフリマーフを政治的に頼りにしていたからかもしれません。
ミフリマーフ役はぺリン・カラハン
学生時代からモデルとしてCMなどに出演していましたが、Kavak Yelleriというドラマのオーディションに合格して女優としての活動を始めました。
↓Kavak Yelleriの予告編
2011年ピラティス・インストラクターのErdinç Bekiroğlu氏と結婚しましたが、2013年同氏と離婚、2014年Bedri Güntay氏と再婚し、第一子を出産しています。(2014年といえば、オスマン帝国外伝の最後のシーズンが撮影されていたはず。そういえば最終話あたりではお腹周りがふっくらしていたような?)2017年に第二子を出産後はあまりドラマには出演していません。
今年、トルコのミュージシャンのPVで↑のドラマ、Kavak Yelleriのメンバーが14年ぶりに集結して現在の姿で当時の役を演じています。
いかがでしたか?
ミフリマーフの実像はドラマとは違い、政治に積極的に関与し、夫婦仲もよかったと思われます。
それなのにドラマであのように描かれたことに、あの世のご本人たちも驚いているかもしれませんね。