ドラマでは母の愛を腹違いの兄オスマン2世に奪われたと思い込み、兄への憎しみを抱えて育ち、険悪な関係になってしまったメフメト皇子。
そのせいで兄に処刑されてしまいました。
子育ての難しさ
キョセムは、実母を失った幼いオスマンを我が子と分け隔てなく育てたつもりでした。
しかし、オスマンと年齢が変わらないメフメトは、「本来なら自分だけに向けられるはずだった母の愛」を兄オスマンに奪われたと思い、兄への激しい嫉妬と憎しみを抱く結果に。これは、実子同士でも結構ある話ですよね?ましてや2人は腹違い・・・難しいですね。
キョセムとしては第一皇子であるオスマンが自身の子たちに兄弟としての愛情を持ってもらって、「兄弟殺し」を避けたかったのでしょうが、肝心のメフメトがそのことを理解していなかったという皮肉な結果に。
おそらくは周りの者たちの影響でしょうね。特にキョセム派の家臣たちにしてみれば、現状キョセムが力を持っているのだから当然オスマンよりメフメトに肩入れすると思っていたはず。キョセムが二人を「分け隔て」しなくても、周りは多分メフメトをえこひいきしていたんじゃないかな?
だからオスマンは「身の程をわきまえ」て、即位前「謙虚に」ふるまい、メフメトは「母の権威」をかさに着て「傲慢に」振舞っていたんでしょう。
メフメトが「傲慢」になったのはキョセムがオスマンを優先している真意を理解できなかったことが原因だと感じます。まあ、言い含めても、幼い子供に理解はできないよね。しかも、そうやって培ってしまったオスマンへの憎しみは成長しても払しょくすることができず、かえって増加してしまった不幸。
難しいね・・・子育てって。
メフメト皇子の母はキョセム?
ドラマでは、実母を失ったオスマン2世を我が子の様に育てた母のキョセムに複雑な思いを抱き、オスマン2世に嫉妬して何かにつけて喧嘩を吹っ掛ける性格のゆがんだ皇子として描かれていますが、メフメト皇子がキョセムの子供かどうかは実ははっきりしていないようです。
トルコのウィキによると、実はメフメト皇子もオスマン2世と同じマフフィルーズの子であるという説も。でも、それだとオスマンがメフメトを処刑した話の印象が大分変りますね。
たとえば、メフメトがキョセムの子じゃなかったとしたら、キョセムの長子ムラトが即位する可能性がほぼ無くなってしまう。で、キョセムがオスマンをそそのかしてアフメトを・・・。いや、何でもないwそれじゃキョセム、ドラマと違って極悪じゃんw
メフメト皇子役はBurak Dakak
Burak Dakakは、1998年6月8日アンカラ生まれ。撮影当時は17歳ですね。
子役からキャリアを積み、先日最終回をむかえた、Çukurなどのドラマにも出演していました。
まだ若いこともあって、結婚はしていないようです。
↓でも、先日撮影後にバラの花を手にして「彼女と思われる女性」といるところを激写され、慌てて「友達です」と記者に弁明したことを報じられましたwハズイw
↓キョセム撮影時のほっこりショットw 本当は仲良し
メフメト皇子の処刑でオスマンとキョセムの関係は完全に壊れてしまったように見えます。もう以前の様に親子として見ることはないでしょうが、自分の乳を与えて育てたオスマンを憎み切れるでしょうか?キョセムの今後に注目です。